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1. ユカタン半島に移動するマングローブの林あり 2. メリダの謎、ベルサイユ風宮殿 ここにあり!
3.地球の聖地、モナルカ蝶のミチョアカン 4.メキシコ市内観光とテオティワカン
5.タイルの家の物語その1、その2 6.タイルの家の物語その3、その4
5.タイルの家の物語その5、その6 7.タイルの家の物語 最終章
9. カリブを変えた砂糖、コーヒー、紅茶
 

タイルの家の物語

【 〜最終章〜 】

ビベロ伯爵の報告書には、読む者に不思議な感じを起こさせる箇所が多々あるが、ここで取り上げる日本の地名もその一つである。

彼は「江戸」を“Yendo”、駿河を“Surunga”と記録している。これは単に彼の聞き間違いなのであろうか。もし、聞き誤りではないとしたら “Yendo” “Surunga”になっている理由は何であろうか。
それは、当時の日本人がこのように発音していたからであり、彼の聞き取りは、正しかったからである。実は、言葉の発音は不変ではなく、時代を経るにつれ変化するものなのである。

一つ、有名な例を挙げてみよう。現在の「母」ハハはその昔「パパ」であった。といっても、別に性転換した訳ではない。これは音韻変化の故である。今の「ハ」音は、平安・鎌倉時代には「パ(P)」と発音されていた。それが室町時代に入り「フ(f)」と変化し、江戸時代には「ハ(h)」音になり現在に至っている。
では、テープレコーダーのないこの時代の発音を いかにして突き止めたかというと、その方法は大きく分けて二つある。一つは、古文書から現在の「ハ」音が記されている箇所を捜し出し、その発音についてコメントしている部分から、どんなだったかを予測する方法である。
例えば、古い「なぞなぞ」に「母には二度会えて、父には一度も会えないもの、なあに?」というのがあり、答えは「唇」とある。つまり、唇は「母」を発音する時に、二度合わさっているので、「母」の発音は「パパ」であったことが解る。
二つ目の方法は、室町時代以降のキリシタン宣教師、欧米人による日本語の ローマ字書き記録から、当時の発音を推測することである。室町時代の「ハ」音は全て「f」で書かれているし、江戸初期の英国人コックの日記には「h」で記されている。(「箱根」“Hacomey”)つまり、現在の「ハ」音は「パ」→「フ」→「ハ」という変化の結果なのである。

同じ方法で、「江戸」“Yendo”について見てみよう。まず、気が付くのは、古代日本には“e”音が三つあり、区別されて発音されていたことである。(ア行、ヤ行、ワ行の“e” “Ye” “We”)平安時代の紀貫之の文には、ア行“e”を「衣」ヤ行“Ye”を「江」と書き分けている。ワ行“We”も 他の古文書に書き分けが発見できる。それが平安末になりヤ行“Ye”に統一されア行ワ行の“e” “We”は消えている。室町時代のキリシタン 文献にも全て“Ye”で記録されている。この時代の政治の中心は 関西であったのでビベロ伯爵も中心地の発音に基づき “Ye‐ndo”と書き写したのであろう。 それが今、何故“e”と発音されるようになったかは、中心地が 江戸に移り関東方言の“e”に変化したからである。
しかし、この発音は「ぞんざいな言い方」であり、あまりまねすべきものではない、と当時の文献はコメントしている。紀貫之が“Ye”を「江」と書いている ことからも、「江戸」の「江」は“Ye”であったことが解る。次に“Ye‐ndo”の“ndo” “Suru‐nga”の“nga”についてはどうかというとやはり上代より室町時代までガ行ダ行は鼻音で発音され、“nga” “ndo”が正音であったという記録がある。それが東国方言の、 かつ、江戸庶民の「歯切れのいい」“ga” “do”に変化し、定着したようである。
つまりは、ビベロ伯爵の書いた“Yendo” “Surunga”は、当時の正統な発音の記録であって、聞き間違いではなかったのであった。メキシコでは「屏風(びょうぶ)」を“Biombo”と言うが、これはフィリピン経由でメキシコに渡った時の発音を、当時のまま残して いるのかもしれない。また“Guarache”(ワラッチェ)も日本語の「わらじ」が語源であったかもしれない。日本語も品物と共に、海外へ渡って行ったことと思うが、反対に日本へ入って来た言葉もある。

1543年に種子島に火縄銃と共に漂着したポルトガル商人が、日本人が出会った初のヨーロッパ人であり、その後ポルトガル語が商品と共に輸入された。間もなくフランシスコ・ザビエルを筆頭に、イエズス会派宣教師が来日、ポルトガル語は当時の流行語になった。 古い日本語だと思っていた言葉が、ポルトガル語だったりすることがある。
例を挙げてみよう。「サラサ」「ラシャ」「じゅばん」「こんぺいとう」などである。その他に今ではすっかり日本語になり、漢字まで当てられて、ポルトガル語だったとは知らずに使われているものもある。例えば 「合羽(カッパ)」「歌留多(カルタ)」「煙草(タバコ)」「南瓜(カボチャ)」「亜鉛(トタン)」。「カステラ」「パン」「フラスコ」「ブランコ」もポルトガルから品物に伴って入ってきた言葉である。

今でもポルトガル語は私達の生活の中に生きていて毎日使われているものがある。それは「どうも、ありがとう」である。
これは、ポルトガル語の「ムート・オブリガード」から由来しポルトガル宣教師が盛んに言ったことから室町時代の流行語になったらしい。又「ムート・オブリガード」は、武士語の「有難い」に発音も、意味も似ていることからすっかり日本語として定着し、現在では ポルトガル語と疑うこともなく「どうも、ありがとう」と言い交わしている。
1590年に活字印刷機がポルトガルより持参され、ローマ字活字本が出版され始める。1603年には、日本語・ポルトガル語辞典が宣教師により作成、出版されている。そして1630年にスペイン語に訳され、日西辞典となって世に出ている。ポルトガル人のロドリゲスは1577年日本に来て通訳として活躍し、日本語を体系的にまとめた「日本文典」を執筆、その後、マカオで日本語方言も含めた当時の日本語全般についてまとめた「日本小文典」を書いている。
杉田玄白の「蘭学事始」が世に出る200年以上も前のことであった。

「バイリンガルになりたい、に子供をしたいアナタへ」

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