パセラ メキシコ観光 株式会社 メキシコ観光
パセラ ホーム
> 連載・UNAM田中先生のメキシコ講座 > カリブを変えた砂糖、コーヒー、紅茶 その2
パセラ コンテンツ
テーマで探す
  世界遺産の旅  
  ロマンチック・コロニアル都市  
  隠れ家ホテルで癒しの休日  
  スペイン語を学ぶ  
  メキシコでダイビング  
  ウェディング&ハネムーン  
  キューバでサルサ・レッスン  
  お祭りを見に行こう  
  さらなるテーマはこちら  
イベント・ツアー情報
  パセラのお勧め企画  
  モデルコース集  
行きたい場所から探す
メキシコ
  キューバ  
  グァテマラ  
  ホンジュラス  
  エルサルバドル  
  コスタリカ  
  パナマ  
  ドミニカ共和国  
  ベリーズ  
メキシコ観光について
  サイトマップ  
  会社概要  
  お問い合わせ  
AMIGOS-アミーゴーズ-
  リンク集  
  日本でメキシコを味わう!  
  採用情報  
  海外現地情報-よもやま話-  
  メールマガジン  
UNAM田中先生のメキシコ講座
COMO ESTA MEXICO

メキシコ 時刻
MEXICO
キューバ 時刻
CUBA
日本 時刻
JAPAN


 
1. ユカタン半島に移動するマングローブの林あり 2. メリダの謎、ベルサイユ風宮殿 ここにあり!
3.地球の聖地、モナルカ蝶のミチョアカン 4.メキシコ市内観光とテオティワカン
5.タイルの家の物語その1、その2 6.タイルの家の物語その3、その4
5.タイルの家の物語その5、その6 6.タイルの家の物語 最終章
 

カリブを変えた砂糖、コーヒー、紅茶 その2

【 〜その2〜 】

前号では、和菓子職人を夢見るメキシコ、メリダの青年の悩みを紹介したが、それはメキシコに日本のアンコがない事であった。しかしである。私はこの青年に一言、言いたい事がある。日本に古代からアンコがあって、それ故に、あの素晴らしい、芸術品のような和菓子が生まれた、というメリダ青年の和菓子思想は大変な過ちであると。
なぜなら、和菓子の基礎になるアンコは、小豆と砂糖からできているが、肝心の砂糖が日本にはなかったからである。和菓子が造られ始めたのは、「茶の湯」を確立した千利休の時代からであるが、その時代の日本の甘味はアマズルという植物からほんの少し取れただけなので、大量に砂糖を使う和菓子は、まだ存在していなかった。その証拠に、千利休の初期の「茶会」のお茶菓子は干し柿などの純国産甘味?であった。
と言うのも、今では、さまざまな砂糖に変わる甘味があるが、当時の砂糖はサトウキビのみから生産されていた。ところが、このサトウキビは熱帯地方植物なので、日本にはなかったのである。しかし、「茶会」ブームは止まる事を知らず、お茶菓子の需要は真剣な国家的問題に発展した。
なぜ、日本の「茶会」ブームに、和菓子成立が関係するかと言うと、「茶会」で飲んでいたお茶、つまり、「抹茶」に原因がある。初め、「抹茶」は、飲むと苦く、ブルッと震えが来る薬であった。であるから、「お茶を一服、点てて進ぜよう」などと、薬でも飲むような言い方をする。この「薬の抹茶」だけでは、「茶の湯」も病人の茶会になってしまうではないか。苦い抹茶の味を美味しいと感じさせ、高貴な味に変身させるためには、その反対の甘味が必要であった。
甘味があってこそ、苦味が引き立ち、また、その逆に、苦味によって、上品な甘味に感動するのである。
ところで、お茶の本家は、言わずと知れた中国である。では、この「抹茶+和菓子」の組み合わせは、中国からのパクリなのであろうか? いや、違うのである。これは日本のオリジナル、特許を申請したくなるなどの、日本発祥の文化なのだと思うのには訳がある。私は、以前、中国本土、最近はツアー旅行で台湾の「茶館」で、やたらとお茶を飲まされ、お土産にと本場中国茶を買わされたが、その時、和菓子風のお茶菓子は出てこなかった。
もし、「お茶+お茶菓子」の組み合わせが中国産であったなら、「日本へのお土産にお茶+お茶菓子セット」を買わされていた事だろう。その思い出がないと言う事は、「抹茶+和菓子」の組み合わせは、日本独自の文化と言って良いと思う。だいいち、中国、台湾で飲んだお茶は、大変美味しかったが、抹茶のように濃く苦くなかった。いわゆる煎茶で、オママゴトのような小さな湯飲み茶碗で、何度も、何度も飲むのである。お陰で、トイレが近い私は行く先々でトイレ探しに精を出し、中国、台湾のトイレについては、精通する事ができた、と自負している。(もっと、他の事に精通出来ないものか?!)それに、抹茶では苦すぎて、中国茶のようにガブガブ飲めたものではない。苦くない中国茶を飲んでいれば、
あえて、甘味を必要としなかったのではないだろうか。
では、日本文化「抹茶+和菓子」の組み合わせを貫徹するために必要な砂糖はどうしたのであろうか。国内にはないのだから、輸入に頼るほかないが、時はまさしく鎖国にと突入し、砂糖などの趣向品は輸入禁止産品になりそうであるが、実は、そうならなかった。その反対に、輸入量は増大し、その支払いに日本の大切な銅、銀が外国に流れていった。勿論、この支払い先はオランダで、本国ではサトウキビの生産のできないオランダが日本の富を手にしたのであった。
しかし、オランダが生産主でないとすると、この砂糖はどこから来たのであろうか。当時の日本の砂糖輸入量は凄まじく、世界の砂糖消費のかなりの部分を占めていたとある文献で読んだおぼえがある。また、「砂糖のある所に奴隷あり」という有名な歴史の言葉があるが、これと日本の砂糖輸入の関係はどうなのであろうか。「茶の湯」が世界貿易に如何に関わったかを知るのも、面白いのではないだろうか。

その3へ、続く

●個人情報のお取扱について
 
サイトマップ / 会社概要 / お問い合わせ・東京
Copyright (C) 2004 MEXICO KANKO. All Rights Reserved.