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5.タイルの家の物語その1、その2 6.タイルの家の物語その3、その4
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カリブ海 その4

【 〜その4〜 】

我が一家が体験した「カリブ海クルーズ」は、7日間コースで、マイアミを出航して、最初の訪問地はプエルトリコである。そこに到着するには、キューバ、ハイチ・ドミニカ島を通り越す。このハイチ・ドミニカ島をコロンブスは「ジパング日本」と思い込んでしまった事は、前号で書いた通りである。彼の偉大なる誤解の原因は、島民から聞いた、島中部の金産地名が「シバオ」であった為、「シパング」を連想させ、「ここぞ、ジパング日本!金の島!」と勝手に決めた、と言う説がある。また、ここの島民がコロンブス一行を迎えたとき、金の飾りを着けていたので、彼の確信?は決定的となった。

ハイチ・ドミニカ人はコロンブスにより日本人として、当時のヨーロッパに紹介された。また、彼は島民との物々交換で大量の金を手に入れ、航海費用を差し引いても充分な金を手にしたという。この金をスペインに持って帰ったのだから、無名の航海士コロンブスは、一躍有名人、それだけでなく、発見地のスペイン領副王になってしまったのである。誤解から生まれた幸運であるが、本物の日本に来なくて良かった、と思う。

当時の日本は、足利幕府崩壊、戦国、下克上の時代に入っていた。コロンブスの「シパング」?到着の2年前の1490年、足利義政は銀閣の完成させて、没。織田信長誕生の40年前の事である。勿論、日本島民は金の飾りを着けていたり、物々交換で大量の金をコロンブスに上げたり、する筈がない。彼はマルコ・ポーロ「東方見聞録」の「ジパングは、宮殿や民家は黄金でできている」というのを信じて疑わず、生きてきた方である。「宮殿は木造建築一階建て、民家はわらぶき平屋、島民はキモノ姿で戦闘中、銀閣寺には銀はナシ」という現実を目の当たりにしたら、ショックのあまり「引きこもり」になってしまった可能性がある。

コロンブスはこの誤解のお陰で、「引きこもり」にもならず、合計4回も「インド」、つまり現在の「カリブ海」へ航海している。不思議に思うのは、当時「カリブ海」が「インド」洋になっていることである。マルコ・ポーロ「東方見聞録」には、「ジパングは、カタイ(中国大陸)の東の海上1500マイルに浮かぶ独立した島国である。」と、はっきり「中国大陸の東の海上」と書いてあるのだから、「インド」洋の代わりに「中国」洋としても良さそうなものである。実は、これは、当時の地理学の未熟さに原因がある。

ヨーロッパ・インド間は商業航路が既にあり、インドまではヨーロッパ人の意識の中にあったが、その先の東の部分、つまり中国、日本は未知の部分で、意識の外にあった。それで、インドから東は全部インドにしておいた。その後遺症は今、現在も残っていて、「カリブ海」の諸島を「西インド諸島」と言っている。何故、「『西』インド」か、と言うと、コロンブスがインドを目指し航海して、「インド」洋で「ジパング日本」を発見、それがヨーロッパ中に広まってしまった。その後、そこが「新大陸アメリカ」の諸島だと解るが、「インド」名は既に人々の脳裏に定着していた。しかし、これでは御本家インドと区別が付かなくなるので、御本家インドを「東インド」、「カリブ海」諸島を「西インド諸島」と言うことにした。歴史教科書に「イギリス東インド会社」という名前がでてくるが、これは歴史的後遺症の産物で、御本家インドの事である。インドの東部ではないのである。ちなみに、「アメリカ・インディアン」「ラテンアメリカのインディオ」もコロンブス歴史的後遺症の産物である。

コロンブスは1492年、1493年、1498年、1504年と、全部で4回、「インド」つまり「カリブ海」を航海しているが、そこが未知の新大陸の諸島だとは、片時も疑わなかったらしい。もっと西へ行けばインド、今のアメリカは中国だろう、と思い込んでいたらしい。ところが大変なことが起きたのである。1501年、イタリア人のアメリゴが、コロンブスの発見したのは未知の新大陸の島々で、「インド」に近い「ジパング日本」ではない、とすっぱ抜いたのである。コロンブスは詐欺師呼ばわれされ、失意のどん底で死去。英雄の転落である。その上、新大陸は正確な発見者アメリゴの名を採って、アメリカ大陸と命名されてしまった。踏んだり蹴ったり、である。しかし、コロンブスよ!歴史はアナタを忘れない!「コロンブスの卵」で汚名挽回、永久保存になっている。(安らかに、お眠りたもう。)

その5へ、続く

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