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5.タイルの家の物語その1、その2 6.タイルの家の物語その3、その4
5.タイルの家の物語その5、その6 6.タイルの家の物語 最終章
 

カリブ海 その5

【 〜その5〜 】

我が家の「カリブ海クルーズ」は、マイアミ出航だったので、メキシコからはマイアミは3時間ほどだが、船に乗り遅れないように、出航前日にマイアミ到着。翌日の出航は午後だったが、入船手続きは朝からOKというので、朝食もそこそこにマイアミ港を目指した。余った時間は波止場をブラブラして、出航の映画「タイタニック」の緊張感を再体験する予定であった。

ところが、行ってビックリ!そこは「波止場」などと言う生易しい物ではなかった。超豪華客船の大行列。一つの客船が乗船客3000人、乗務員2000人、合わせて5000人収容の巨大客船なのだ。それが10隻ちかく並んでいる。正確な船数は解らないくらいで、列の先頭は霞んで見えた。一つの客船の乗船客3000人で、約10隻の船客がチェックインする光景をご想像あれ!戦後の外地からの引揚者もビビル光景!とお思いであろう。それが違うのである。「カリブ海クルーズ」は既にアメリカ・ヨーロッパでは一般化しているそうで、乗船手続きもオンライン、その後、エレベーターに乗せられて、気がつくと既に船上の人となっていた。

約500年前の1492年、コロンブス「新大陸発見?」当時は想像だに出来ない変わりようである。

「カリブ海」の過去を振り返れば、その劇的な歴史遍歴に驚かされる。1492年、コロンブス「新大陸発見?」前は、原住島民のみで、鉄器、刀、もちろん鉄砲とも完全無縁の生活。スペイン人を始めとするヨーロッパ人殖民で原住島民は、ほぼ全滅。一時ヨーロッパ殖民地となるが、放棄されて海賊島に変身。その後、またまたヨーロッパ殖民地のプランテーションになって、奴隷貿易の到着点となる。そして独立、現在の諸島国が誕生したのである。

この遍歴の基は「カリブ海」を「インド近海」と思い込んだコロンブスだが、彼の誤解で、アメリカ大陸が世界史に参加し、世界のグローバル化が始まった。勿論、このグローバル化は想定外の事で、コロンブスは、ただ只、マルコ・ポーロの言う「黄金の島、ジパング到着!」を目差しただけなのである。未知との遭遇の狂的情熱を現実にしたのは、羅針盤であるが、実は、それだけではなかった。トスカリネリの地図というのがあった。この地図は、フィレンツェの天文学者で、当時、地球球体説を唱え、西半球を図のように考えていたのだった。

この図をみると、確かに「黄金の島、ジパング」はスペインの直ぐ西にある。コロンブスはこの地図を片手に当時のスペイン、カスティジャ女王イサベラを説得したらしい。しかし、この地図は「地球球体説」と言いながら、四角いではないか?どうやら、当時は地球を現在のように楕円形に描く技術がなかったから、と言われているが、本当だろうか?この地図を見せられたイサベラ女王は、さぞビックリした事であろう。

しかし、まだビックリする事がある。「ジパング」は「cipangu」と書かれているではないか。これは、マルコ・ポーロ「東方見聞録」の原典が「cipangu、チパング」だったからで、地図製作者トスカリネリの間違いではないのである。コロンブスの当時は、日本は「cipangu」であった。ところが、ここが「cipangu」ではなく、現在のハイチ・ドミニカ島と解ったが、「金」がでたし、その後キューバ、メキシコでも金に出会ったので、スペイン側としては「cipangu」はどうでもよくなったらしい。では、今現在、日本がJapanと呼ばれるのは何故であろうか。それには、ポルトガルが絡むちょっと複雑な訳がある。

ポルトガルはインド・中国経由で日本にやってきて、1543年に種子島に到着、火縄銃をもたらしたのは、有名な話である。ポルトガルは中国広東の商人と接触していて、彼たちが「日本」を 「ヤップン」と発音していたことから、ポルトガル人はこれを「ヤポン」と聞いて、彼等の方法で表記した。ところが、 ポルトガル語では「y」使われない。そこで彼等は ya ではなくja で表し、発音も「ジャ」。その上、ポルトガル語では on で終わる綴りがないので、これに相当するのao で表した。 発音はヤパウン。こうして ポルトガル語のjapao ができた。

次にスペイン人がやってきてポルトガル人から japao を引き継いだが、ポルトガル語のao は 西語on になるので、japon と直して、読み方はハポン。 そこから、フランス語のジャポンもできた。

次にオランダ人が日本接近。ポルトガル人から japao を引き継いで、japan とした。発音はヤーパンである。

最後にイギリス人がオランダ人からjapan を引き継いだが、英語ではja を 「ヤ」とは読まないから、「ジャパン」と読んだ、と言う説があるが、いかがなものか?何はともあれ、「ジャパン、Japan」誕生、おめでとう!

その6へ、続く

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