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5.タイルの家の物語その1、その2 6.タイルの家の物語その3、その4
5.タイルの家の物語その5、その6 6.タイルの家の物語 最終章
 

カリブ海 その5

【 〜その7〜 】

マイアミ港を出航して、一日掛かりで、この「クルーズ」の始めの島プエルトリコに到着した。この島はコロンブスが1493年、2度目の「インド」航海で発見?した島で、当時は先住民族タイノ3万人が住んでいた、という。しかし、島北部で小規模な砂金産出した為、先住民族がかりだされ、ほとんどが死んでしまったらしい。スペイン人の手を逃れた先住民は山に逃げ込んだ、という。

到着した時の印象は、プエルトリコ人はメキシコ人に似ている、というものだったが、やはり、先住民族とスペイン人の混血があり、そこにアフリカ人も混じって、今のプエルトリコ人の顔形になったようだ。面積は3,423平方マイル(広島県と同じ).現在の人口は350万人で、その他に合衆国本土には270万人居住。アメリカ自治領となったのは1898年のスペイン・アメリカ戦争が原因。スペインはプエルトリコをアメリカに渡し、1917年には住民もアメリカ市民としての権利を得る。そして1952年、憲法により米国の自由連合州として内政自治権を獲得して以来、アメリカと自由な関係を保持し、半独立の立場をとっている。

プエルトリコからは「金の島ジパング」こと、現在のハイチ・ドミニカ島、キューバのように大量の金は出なかったが、砂金が採れたし、島の位置がスペインから一番近くて、大きい島だったので、停泊港として賑わったそうだ。その面影が、島の中心街に残っていて、当時馬車が行き来した広い石畳の道。その両側にスペイン風の瀟洒な建物が、隙間なく並んでいる。暑いプエルトリコだからなのか、どの家にも木製の広いベランダがあり、それが街を優雅に見せている。この建物の一階は土産店になっていて、「クルーズ」客で大賑わい。私も何かプエルトリコ風の物を買いたいと捜し求めたが、「アッター」と思ったプエルトリコ土産は中国製であった。

土産店街の端には、小さい噴水と、それを取り巻く階段があった。この風景はスペインそっくりで、ここが約300年間、スペインの町であったことを思い出させてくれた。プエルトリコは平地の少ない山の島である。土産店街から港を見下ろすと、「クルーズ」船が何艘も停泊していた。どの船も巨大で白いので、どれが自分の船なのか、見分けが付かない。違う船に乗ったら大変である。乗船間違い防止の為か、「クルーズ」会社も気を使って、船のてっぺんのマストに、「クルーズ」会社の印が付いている。これはJALの機体のロゴと同じことなのだろう。乗船する時は、我が「クルーズ」会社ロゴを探しあててから、乗り込むように気を付ける事にした。

ところで、プエルトリコ観光の目玉は「サン・フアン・デ・モロ要塞」であると言う。プエルトリコは日本の広島県ぐらいの島なのに、この「モロ要塞」は異常に壮大、かつ頑丈に出来ていた。この要塞だけでなく、島全体が、まるで海に浮かぶ軍艦にごとく、城壁で囲まれているのである。「モロ要塞」建造は1539年からだが、島の防衛壁はそれ以前、1521年に始められていた。いったい何から、この島を守ろうとしたのであろうか。それは「カリブの海賊」からである。

「カリブの海賊」は何度も映画、小説、漫画になり、かなり知られた存在であるが、海賊の出身校?ではなく、出身地はどこか御存知だろうか。「カリブの海賊」だから、「カリブ」海のどこかの島に決まっている、と御思いの方は、素人である。この海賊の出自は、以外にも、由緒正しいのである。海賊トップ・スリーの御国を紹介すると、イギリス、フランス、オランダである。今や文化大国として知られる、この立派な国々が、約500年前は、遠く離れたカリブ海で、海賊業を営んでいたのである。それも、細々と、ではなく、盛大に、おおっぴらにやっていた。その理由は、祖国発展の為だったからである。

「カリブの海賊」のトップ・スターは、何と言っても、フランシス・ドレーク船長であろう。出身国はイギリス。ただの船乗りから身を起こし、海賊業に転身、狙った相手はスペイン船とラテンアメリカ・スペイン植民地。目的は、植民地から船に積まれ、本国スペインへ輸送中の金銀財宝 と その出発港。彼がスペイン側から奪った財宝は、当時のイギリス国庫以上の額で、借金の返済に困っていたエリザベス一世を助け、女王からナイトの爵位を授かった。サー・フランシス・ドレークの誕生である。

一方のスペインは、世界中に植民地を持ち、「スペインに太陽の沈む事はない」と自画自賛していたのだから、この海賊泥棒には、面目丸つぶれであった。頭に血が上ったスペイン王フェリッペ二世はエリザベス一世に「アンタのとこの、海賊泥棒ドレークを取り締まってくれない!」と言ったそうだ。そこで、エリザベス一世が答えて曰くには、「アーラ、海賊泥棒ドレーク?誰の事かしら???うちには、サー・フランシス・ドレークしか、居ませんことヨー。オホホホ」。かくて、エリザベス一世は後の大英帝国の基礎を築いたのである。(メデタシ、メデタシ)。

その8へ、続く

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