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3.地球の聖地、モナルカ蝶のミチョアカン 4.メキシコ市内観光とテオティワカン
5.タイルの家の物語その1、その2 6.タイルの家の物語その3、その4
5.タイルの家の物語その5、その6 6.タイルの家の物語 最終章
 

カリブ海 その5

【 〜その10〜 】

我が家の「クルーズ」は、約7千あるカリブ海小島群の内、プエルト・リコ、サント・トーマス島、サン・マーティン島の3島だけであったが、プエルト・リコは大きい方で、あとの2島は小一時間もあれば、車で島一周できる小さいものであった。日本の小島というと、お椀を伏せたような海岸線のなだらかな島を思い浮かべるが、カリブ海小島は海岸線の入り組んだ、入り江ばかりの島だった。これは海賊船にとって、格好の隠れ家で、狙われたスペイン宝物船団も追跡、拿捕できる訳がない。カリブ海賊の活動?期間は16世紀半からの200年間であるが、こんなに長続きしたのはカリブ海の地形のせいだけだったのだろうか。

どうも、それだけではないらしい。海賊というと、酒浸りで、女好き、喧嘩好き、乱暴者、無法者というハチャメチャなイメージがあるが、実情はだいぶ違っていた。大海賊時代の最後にして最大の海賊といわれるバーソロミュー・ロバーツ(Bartholomew Roberts、1682年‐1722年2月10日)という偉い方が居た。彼は「ブラック・バート」(Black Bart)という異名で知られていたが、直訳すれば「黒い男爵」(Bart=Baronetの短縮形)となる。それは彼の服装、立ち振舞いからのニックネームで、本物のイギリス貴族ではない。彼はイケメンで、おしゃれな男、ファッションは、真紅の宮廷用半ズボンに飾り帯を着け、オーバーコートを羽織り、紅の羽を飾りつけた三角帽子をかぶり、肩には緋色の帯で拳銃を吊るし、ダイアモンドを散りばめた十字架を金チェーンで首から下げるなど、本物のイギリス貴族もビックリ!の格好をしていた、と言う。 だからと言って、決してナヨナヨしていた訳ではなく、生大小20隻に及ぶ大海賊船団を率い、大西洋横断航路を一時的に麻痺させ、生涯を通じて合計400隻・5千万ポンドに及ぶ船舶を略奪するという業績?もしっかり上げていた。

この海賊貴族の輝かしい業績の秘密は何であろうか。それは、彼の大海賊船団の乗組員全員に対する厳格な船内規則であった。まず、その一つを紹介しよう。「安息日には音楽隊による賛美歌を歌い、その日は海賊行為を行わず、敬虔な祈りを奨励」。ウッソー?!と、お思いの方も多いと思われるが、本当である。しかし、企業目的?はあくまでも海賊なので、厳しい掟もあった。それは、「女性や子どもを乱暴目的で船に乗せた者は死刑」、「戦いの中で船を見捨て降伏した者は、死刑もしくは孤島置き去り」、「仲間内で金品を窃盗・横領した者は孤島置き去りの刑」、「船上での口論禁止。岸に着いた際に決闘により決着をつける」、「カード、サイコロを使った賭博の禁止」などである。これは、堅気の一般社会の法律よりはるかに厳しいもので、厳しさで知られる中世の修道院規律も厳格さにおいては、海賊社会にとうてい及ばない。

さらに、「午後8時消灯し、以降の飲酒は甲板にて月明かりのもとでのみ許可」と言う掟は、体育系の強化合宿を連想させる。海賊企業らしい掟には、「ピストルやカットラスの整備の徹底」があるが、他の海賊会社、海賊船「リヴェンジ号」のジョン・フィリップス船長の掟には、「弾薬庫内で銃の撃鉄を上げたり、パイプに覆いをかけずに煙草を吸ったり、または火のついたままのキャンドルをカンテラに入れずに持ち歩いたものは、裸の背40回の鞭打ちを課す」と言うのがあり、船長の性格が掟に反映している。このフィリップス船長は、かなり細かい人だったようだ。社員、いや、海賊船員は、さぞ、ストレスが溜まった事だろう。しかし、これとて火薬を満載した海賊船の安全対策として、企業家の採るべき当然の方針であり、社員の了解は得られたものと思われる。

次に、フィリップス船長の社内の待遇面に関する掟を視ると、「戦利品の分け前は、船長は一般船員の1.5人分、航海長・大工・甲板長・砲手は1.25人分とする」とあり、船長の収入は控えめである。また、前述の「ブラック・バート」(Black Bart)船長も、「収益は役割別に平等に配分」と、他企業に負けない平等企業精神を打ち出している。平等精神はそれだけではない。「乗組員全てに平等な投票権・投票発起権を与える」という当時の中世的シャバでは信じられない平等選挙を実施しているのである。この選挙で各船の船長を選出していたのである。何と?!民主的な社会であった事か!リンカーンも仰天!!!である。

だが、しかし、こんな事で驚いてはいけないのである。海賊企業の近代性の極め付きは、医療保険があったことである。海賊保険詳細は「戦闘で指1本を失ったものは、ピース・オブ・エイト100枚か1人の奴隷」、「戦闘で右手を失ったものは、ピース・オブ・エイト600枚か6人の奴隷」。この当時のイギリスの中流家庭の年収はピース・オブ・エイト220枚ぐらいだったので、ほどほどの保険料だったようである。これで海賊も安心?して業務に打ち込めた事だろう。やはり、200年近く続いた海賊活動の裏には、皆が納得する「平等、安全、安心、賛美歌、安息日」の掟があったのである。何とも進んだ社会ではないか!!!「自由、平等、博愛」をスローガンに1789年に始まったフランス革命を先取りする海賊社会が、カリブ海にはあったのだ。

その11へ、続く

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