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カリブ海 その17

【 〜その17〜 】

奴隷と言えば、アフリカ黒人奴隷が現代の常識になっているが、それ以前の中世ではヨーロッパ白人奴隷が一般的であった。この史実は、歴史は逆転するものである事を教えてくれる。白人奴隷がスペイン語で"Esclavo",英語で"Slave"で、主にスラブ人が商品としてヨーロッパから「輸出」されていた。いったい誰がスラブ人を商品奴隷として輸出したのであろうか?それは西ヨーロッパ・キリスト教地域の王国であった。西ヨーロッパ・キリスト教地域がスラブ人奴隷輸出を思い付いたのは、自分の国が貧しくて、ろくに売る物がなかったからである。

中世の西ヨーロッパ・キリスト教地域は大変な文明後進国で、技術がなく、輸出できるような製品を造れる国でなかったのである。農業の方も技術不足で、自給さえ出来ない状態であったので、農産物の大量生産、その商品化、輸出など、無縁の世界であった。西ヨーロッパ地域は、地球儀で見ると解るのだが、日本の東北、北海道の位置にあり、寒冷地帯である。農作物が自然に実る熱帯地方と違い、自分の食料確保にも、命懸けの生活だったのだ。この地域にたくさんあるのは薄暗い深い森、そして、そこに住む野獣、狼、狐などなどであった。西ヨーロッパ・キリスト教地域の輸出商品は、この野獣の毛皮、それに羊の皮、羊毛ぐらいであったが、どれも金目の輸出品とは言い難い。そこで考え出したのが「スラブ美少女」を「奴隷」として輸出する事であった。

スラブ少女は確かに美しい。肌は透き通るほど白く、目は青く大きく、髪は金髪である。美しい少女は高額で取引されたと言う。だが、しかし、西ヨーロッパ・キリスト教地域の女性も白人である。中世だからと言って、少女全員がブスである筈がない。スラブ地方まで行って、奴隷の捕獲をしなくても、地元で商品調達可能ではないか。ところが、それが不可能なのである。その地域の少女全員が振り返るほどのブスだった、からではない。キリスト教地域であったからである。キリスト教には、「キリスト教者は、同じキリスト教信者を、異教徒の奴隷にして売ってはいけない」というアリガタイ教えがあるからである。そこで、キリスト教信者でもなく、異民族で、防衛能力も低い、お隣のスラブ人を「捕獲」し、奴隷として輸出したのであった。

では、その輸出先はどこかというと、中世の大文明圏、イスラム地域であった。これなら、キリスト教信者でないスラブ人を異教徒のイスラム地域に売るのだから、「キリスト教の教え」に違反する事にはならない。 「スラブ美少女」の到着先は、勿論、ハーレムであった。この輸出は好調で、ハーレムには、1000人近い女性がいたと言う。映画「アラビアン・ナイト」のハーレム・シーンには、必ず白人美女達が登場するが、これはハリウッド製作なので、手近にいる白人アメリカ人女優を使ったのかと私は思っていたが、そうではなく、史実に基づき、スラブ白人美人を再現していたのであった。

しかし、このハーレム事情も、どこか変である。確かに、スラブ美女はアラブ人には貴重な存在であったろうが、アラブにも、美女が居た筈である。それどころか、アラブの女性は綺麗で、特に少女はビックリするほど美しい。彼女達がハーレムに居なかった理由は、イスラムにも「イスラム教徒は、同じイスラム教徒を、奴隷にしてはいけない」というアリガタイ教えがあったからである。そこで、スラブ美女ならイスラムの教えに反する事がないので、積極的に輸入したらしい。「踏んだり,蹴ったり」なのは、スラブ美女である。美しすぎる事は、時により不運を呼ぶものである。(私は何故か不運なし!)

けれども、ハーレム美女軍団が、全部が全部、不運であった訳ではなかった。現在のトルコを中心にオスマントルコ帝国が栄えていたが、それは「スレイマン大帝」(1580年頃)の偉大なる業績であった。彼はイスラム世界の英雄である。このスレイマン大帝の寵愛を一身に集め、皇后にまで登りつめたハーレムの女性が居た。ヒュッレム・スルタンこと、本名はロクセラーナ、つまりロシア人であった。「スレイマン大帝」は最愛の妻ヒュッレムの死後、家庭的に暗い晩年を送り、1566年にハンガリー遠征の陣中で没した。遺骸はトルコのイスタンブルに運ばれ、スレイマニエ・モスクの墓廟に妻ヒュッレムと共に葬られている。

実は、我が家がドイツに住んでいた時、トルコ旅行をして、スレイマン大帝と最愛の妻ヒュッレムの墓廟を見たのである。その印象は、「エッ?!、これがあの有名なスレイマン大帝と妻ヒュッレムのお墓?」というほど、こじんまりして、質素であった。小さなドームの内に二人の大きな棺が並んで置かれ、緑色のフエルトで覆われていた。オスマン・トルコ大帝国のハーレム、そして最後は、小さなドームの内の二人並んだ質素な棺。その落差に目まいを覚えるほどであった。

その18へ、続く

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