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5.タイルの家の物語その1、その2 6.タイルの家の物語その3、その4
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カリブ海 その20

【 〜その20〜 】

以前の号で、美しく生まれたが故に、奴隷としてハーレムに売られてしまったスラブ美少女軍団について触れたが、スラブ美少年は男であるが故に、無事だったのかと言えば、無事ではなかったのである。やはり、美しいが故に奴隷としてハーレムに売られたのだが、その仕事はハーレムのスラブ美少女軍団の世話、監視役であった。ところがである。うら若い美少女、美少年が一箇所に集合させられ、ひたすらスルタン一人の登場を待つ生活は退屈である。暇に任せて、奴隷の美少女、美少年が子孫繁栄行為に走るのは、目に見えている。ハーレムで生まれる子は、全てスルタンの子、王子で、次期皇帝スルタン候補なのだから、勝手に子作りに励まれては困るのである。その防止対策は只一つ。美少年の男性を取り払う事である。今で言うニューハーフ、つまり、中国にあった宦官である。

お隣の中国は、後宮もスゴイが、宦官でも超スゴイ国で、宦官大国と賞賛したくなるほどである。その男性去勢の歴史は紀元前にさかのぼり、始めは戦争捕虜に闘争心と子孫を絶つ為に行われたそうだ。それから、死刑に次ぐ重刑として男性去勢が行われた。大歴史書『史記』の作者、漢の司馬遷(前145年頃〜前86年頃)、紙の発明者、後漢の蔡倫 (100年頃)も宦官だったと言う。宦官大国としての史実を挙げると、唐滅亡後の南漢(909年 - 971年)の総人口は100万人だが、その内、宦官が2万人もおり、この国の男性25人に1人は去勢していたことになる。明代には爆発的に増え、約10万人に膨れ上がった。 その証拠に1612年に政府が、宦官の補欠3000人を募集したところ、応募者が2万人に達したため、急遽募集人数を4500人に増やしたという記録が残っている。一方の日本は奈良、平安時代に中華帝国に学び、中国文明を盛んに取り入れたが、この男性去勢、宦官文化は,遂に取り入れる事はなかった。(日本男子は幸運である!)

中国に宦官文化が生まれた理由は、国家社会制度に原因があるらしい。中国の歴史は帝国の勃興、没落の連続で、政権は皇帝、その一族に集中、つまり、今と同じ一党独裁体制なのである。貧しい農民が権力側に入るには、「科挙」という日本の東大受験も真っ青!の試験に合格して、高級公務員になるしか出世の方法がなかった。しかし、この試験に受かるのは無理男性には、取って置きのルートが残されていた。自分の男性を去勢して、宦官になり後宮の婦人係りとして宮中深く入り、皇后、次期皇帝となる皇子、さらには皇帝自身の側近として、影の権力と金を目差す道である。男性の出世に賭ける情熱には感動を覚えるものがある。

中国の宦官志望の動機は政治的であったが、芸術的動機で宦官になった青少年たちがヨーロッパ、特にイタリアにかなり居た。彼らはカストラート、「男性ソプラノ歌手」と呼ばれ、16世紀ごろから20世紀初頭まで、ヨーロッパの教会やオペラ劇場でカストラートの歌声が聞かれたと言う。カストラートの誕生は、やはりヨーロッパの社会制度のせいであった。中世では女性が舞台に出る事を禁じていた為、劇や、オペラの女性役は変声期前のボーイ・ソプラノの青少年が勤めていたが、声変わりをしたら使いものにならない事から、いつまでもソプラノで歌えるように、青少年の時に男性去勢して置くのだそうだ。その手術は、何と!「床屋」で行われたと言う。確かに、昔の「床屋」は剃刀で髭を剃っていたし、ヨーロッパの「床屋」は医者も兼ねていたと聞いたことがあるが、外科手術もするほど、剃刀さばきが良かったのかもしれない(でも、痛そうですね・・・・・・)。

1798年に女性の舞台登場は解禁になったが、男性カストラートの力強い歌声を聴いてしまった聴衆は、女性ソプラノでは飽き足らず、カストラートの名声は衰える事がなかったと言う。最後のカストラート といわれるモレスキは1865年に手術を受け、レコードまで出していて、今でも復刻版でその歌声を聴くことが出来るそうだ。彼は1913年まで現役で歌い、その声は「ローマの天使」と称えられている。

中国の宦官もカストラートも自分の出世の為に、去勢したのだから、一応、自己責任の内で、気の毒がる必要はないのだが、思いっきり気の毒なのは、スラブ白人美少年である。美しく生まれた故に「捕獲」され、奴隷として売られるのだが、その前に男性去勢までされてしまうのであった。この手術は今でもリスクが高いと聞くが、中世ではリスクなどと言うものではなく、3人に一人は死亡したと言う。当時、手術の傷跡の殺菌法は、焼けた砂に首まで埋まって、高熱で傷口から黴菌が入るのを防いだそうである。これでは死亡率3分の1の筈である。

去勢男子白人奴隷は、中世・西ヨーロッパのアラブ向けの大切な輸出品であったので、大量の完成品?製造工場が出来ていた。その場所は現在のフランス北東部のヴェルダン(Verdun)という町である。宦官製造は町の主要産業として、一時代を飾ったそうである。白人奴隷を交易品として、イスラム帝国に売った理由は、中世ヨーロッパが貧しすぎて、売る物がなかったからだそうだが、そこまでして、イスラムから何を買い入れようとしたのであろうか?それは、驚くべき事に、「白い、甘い砂糖」でありました。


その21へ、続く

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