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5.タイルの家の物語その1、その2 6.タイルの家の物語その3、その4
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カリブ海 その20

【 〜その21〜 】

前号で、中世、西ヨーロッパは砂糖欲しさに、スラブ美少女、美少年を奴隷として、オスマン・トルコのハーレムに売り、その見返りに、砂糖を買った、と書いたが、ヨーロッパ人が極度の甘党だったからではない。砂糖は今では諸悪の根源で、肥満、糖尿病の元凶として嫌われているが、当時は超貴重な薬だったのである。それも、ただの一般薬ではなく、命を救う救命薬であった。現在でも、アフリカで餓死寸前の子供に、塩と砂糖を溶かした水を飲ませると、息を吹き返すと言われるが、高カロリーの砂糖は、体力が極限まで衰え、食事も喉を通らない者の最後の命綱だったようである。つまり、現在の点滴のような役割を担っていたのであろう。ヨーロッパ人が欲しがるのも無理はないではないか。

だが、しかし、この砂糖はオスマン・トルコから売ってもらうしか、入手方法がなかったから、奴隷の悲劇が起きたのである。その理由は、まず、砂糖はクソ寒い西ヨーロッパでは育たない。砂糖の原産地はニューギニア付近らしく、それがインドに伝わり、アラビアにもたらされ、当時のオスマン・トルコの領地である熱帯のエジプト沿岸などで栽培されたと言う。砂糖の語源はサンスクリットのsarkara(甘い砂)に由来し、そこからアラビア語のsukkar、英語のsugarになったが、日本語:satouもサンスクリットから取ったもので、砂糖は当て字のようである。砂糖が貴重な薬であったのは、日本も同様で、永観2(984)年の有名な丹波康ョの「医心方」には、「中風に效き、顔色が良くなる」と書かれている。

砂糖は薬であるが、甘い事に変わりはない。中世の甘味は果物、蜂蜜ぐらいで、砂糖の強烈な甘味は当時のヨーロッパにはなかったので、希少な甘味とし王侯貴族に珍重された。しかし、砂糖はメッチャ高額である。そこで、大切な晩餐会の最後のハイライトとして、砂糖菓子を客人に振る舞い、自分の富を見せ付けたのであった。これが、世に言うデザートの始まりでありました。砂糖菓子がステイタス・シンボルになり、その大きさが人の噂になると、王侯貴族、富裕層間で砂糖細工菓子の競争が始まったようだ。特に、結婚式のような特別な場合は、富を見せびらかす絶好のチャンスなので、大きな砂糖菓子を式の最後に登場させ、新郎新婦でナイフを入れ、客人と共に豊かさを共有する習慣が出来たようである。そして、砂糖競争は激化を強め、一段だけの丸い砂糖菓子は、二段となり、見栄っ張りの家の結婚式では、三段となり、その次の結婚式は四段・・・・・、留めなく高くなり、その結果が現在の塔のような「ウェディング・ケーキ」になったのではないだろうか。式の最後に新郎新婦がケーキにナイフを入れるのも、富の分配の習慣を継承していると思われるのだが、いかがでありましょうか。

砂糖の貴重さは1660年代でも変わらず、銀よりも高価だった、と言ったら信じてもらえるだろうか。これは本当の話で、1662年、イギリス国王チャールズII世のもとへキャサリン王妃がポルトガル王室から嫁いで来た。キャサリンは持参金として大量の銀塊を持って来る約束をしていたが、リスボンから軍艦に守られ、テムズ河からロンドンに運ばれた物は、何と!砂糖の塊でありました。イギリス国王は激怒のあまり、砂糖をなめ尽くし、糖尿病になった・・・・のではなく、感激のあまり、笑いが止まらなかったそうである。砂糖は銀に等しい価値があるどころか、銀を超える高価なもので、時の国王さえ容易には手に入らなかったのである。しかし、だれでも持参金に砂糖を持って来られる筈はなく、それが出来たのは、キャサリン王妃の実家がポルトガルで、ポルトガル植民地ブラジルの砂糖があったからである。

しかし、このイギリス国王の砂糖への執着を笑えない国がある。それは我が国、日本である。当時の日本の砂糖輸入量は年約1,800トンで、これを当時のイギリスの輸入量、年88トンと比較すると、日本はイギリスの20倍以上の砂糖を輸入していた事になる。何故、これほど大量の砂糖が必要だったかのか?それは「茶の湯」の流行で、和菓子が大量生産され、膨大な量の砂糖が必要だったからである。この高価な砂糖の支払いは、美少女・美少年奴隷ではなく、銀貨だった。銀貨で支払ったのは、スラブ地方が日本から遠かったからではなく、当時の日本は主要な銀産出国で、その量は世界の3分の1であったという事情による。日本でも、砂糖は銀より貴重であったようだ。

辞書で「甘い」を引くと、「あまい」「うまい」と、読み仮名が二つあり、日本でも、「あまい」事は「うまい」事であったことが解る。ヨーロッパで、貴重な砂糖は、デザート、ウェディング・ケーキとして、その姿を留めたが、日本では「饅頭」として後世にその姿を残した。お祝い事の紅白饅頭、お葬式の葬式饅頭、旅行先の温泉饅頭、日本中、饅頭だらけである。そのせいか、日本の銀は底をついたが、饅頭の存在は永遠である。落語の「饅頭、怖い!」に通ずる日本文化ではないか!?


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